#3 ミッドナイト・セレブリティ・スキン

竜種の治療は難行(なんぎょう)である。
というのも、竜種はその形態からして人類種とは大きく異なるためだ。人類種と似ているのは外見だけで、中身はまるきり異なっている。最大の特徴は『心核(しんかく)』という器官である。それは平たく言えば、心臓と肺と脳をいっしょくたにしたようなものだ。心核を中心に、重金属かと思うほどの濃く、どろりとした強い血液が全身を勢いよく巡っている。
竜種にとって身体とは、血液を人型に形作った擬態である。その血でできた粘土の中には、概ね人類種に似た器官を生成している。しかしそれが『見た目だけで、実際には機能しない擬態』なのか『本当に動いている臓器』なのか判然としない。
ましてや今回のように。竜種が自ら出血を止められない状況なら、まず心核の破損を疑わなければならない。心臓と肺と脳の機能を持つ器官を破損しているかもしれない、なんて。医者にしてみれば、これ以上のバッドケースもなかなか考えつかない。

……ナダレは意を決した。まずもって竜種に麻酔は効かない。毒のほとんどが効果がない、ということは、薬もほとんど効果がないということだ。
それは軍医時代のナダレを散々悩ませた問題だった。竜種は痛まないわけではないが、痛みには強い。さらに、麻酔で誤魔化(ごまか)すよりも、心核の力で即座に傷を回復したほうが手っ取り早い。だから、心核に傷がつくようなケースがいちばん困った。

まずは服を剥がし、本当に心核の傷かを確かめる。毒は効きにくいだけで効かないわけではない。竜種の血の魔法を阻害するような何かが原因である可能性も、まだ残っている。
ノエルは胸から腹にかけてが大きく裂けていた。この状況で(はらわた)(あふ)れ出していないのは、そもそも腑を生成していないタイプの個体だからだろう。
止まらない出血を吸引しようとしたが、吸引器(サクション)のチューブはごぼごぼと泡を立てるだけだ。竜の血は重すぎて、水を吸う程度の陰圧しか持たない機材では吸引できないのだろう。シェイクを(すす)るようなもので、単なるドリンクをストローで吸うより力が要る。ナダレは舌打ちして、ノエルの身体の下にクッションやマットを詰め込んだ。身体を斜めにして、重力で血を傷口から排出(ドレン)するためだ。クッションは次々に真っ赤になっていった。
竜種の心核は、概ね人類種の心臓の位置にある。痛むかもしれないが、躊躇(ためら)っている場合ではない。ここへ辿り着くまで、ノエルがどれほど失血しているか分からない。血が足りなくなれば、身体が擬態を保てなくなり崩壊し始める。今すぐそうなってもおかしくない、と思いながら当たるべきだ。

「ごめんな、ちょっと痛いぞ」

ナダレは声をかけて、ラテックスの手袋を嵌めた手で、ぐっと傷を掴んで押し広げる。ノエルはぎゅっと目を瞑ったが、暴れなかった。ちゃんと意図が伝わっている。押し広げた傷が戻ろうとしている。まだ心核が働こうとしているのだ。血を傷口へ送って、治そうとしている。だから余計に血が止まらない。毒によって心核が止まっているわけではないようだ。
そのまま心核の破損を探る。ペンライトで傷口を照らせば、まるで血肉の結晶のような、粘ついた赤黒い塊が目に入る。そこに、小さな破片が突き刺さっていた。刃物の先端のような、薄く鋭い破片だ。——これだ。
これしきの異物で、心核は機能を失う。竜種は確かに強い生き物だ。だが、不死の生き物ではない。
ナダレはそれを掴むと、一気に引き抜いた。瞬間、急激に血流が息を吹き返し、傷口を覆うように絡まり始める。あとは、回復力に任せれば大丈夫だろう。ナダレは大きく息を吐いた。
ノエルはふふ、と、赤く汚れた口元に笑みを作る。

「やるじゃん先生」
「血は足りてるのか? ウチには人間用の輸血しかないぞ……」

心核が力を取り戻しても、本領を発揮するにはそこに流れる血が必要だ。ノエルはぐったりと、首を横に振った。

「だよなぁ……」
「人間用でもいいよ。飲む」
「あのなぁ」

そういえば戦場で、血が足りなくて人食いに走ったやつもいたな、と。ナダレは自分の立場を思い出し、すっと立ち上がる。丸齧りはごめんだった。

「何か食えそうな物買ってくる。何が良い?」
「なんでも良いよ……ほんとに血でも良いのに。」

血のついた服を替えて外に出たのは良いが、食事は何でもいいがいちばん困る。ナダレは冬物コートに身を包んで、こそこそと街を歩いた。このスラムにまともな食い物屋は少ない。少し歩くが、表通りまで出たほうがいいだろう。
なにより、ノエルの傷は誰かから負わされた手傷だ。竜種を傷つけられるような相手がもし襲ってきたら、ナダレはとても太刀打ちなんかできない。ノエルにはなんとか自力で逃げてもらうとしても、ノエルがナダレを守る理由はないのだ。それを思えば、診療所から少し離れたかった。

表通りのコンビニで、ナダレはいくつかの食料を適当に手に取った。カップ麺、パン、惣菜、チキンなどなど。……そして、チョコレートのかかったドーナツを籠に入れる。それは単にナダレの好物だからそうしただけだ。
ナダレが帰ると、ノエルはじっとして体力を温存していたが、袋の中身を見て目の色を変えた。

「ドーナツ!」
「ドーナツ、好きなのか」
「金色のつぶつぶのがいちばん好き」

それはチェーン店にしかないやつだな。
ナダレは自分の夜食にするつもりだったそれを、泣く泣く手放した。患者の無事には換えられない。これが悲しい医者のサガだ。

「……なんで怪我してたとか、聞いてもいいのか」

ひととおりの食事が済んで、ナダレはノエルにそう尋ねた。

「ちょっとした喧嘩だよ」

ノエルは目を閉じ、ふわぁと欠伸をひとつして黙り込んでしまった。仕方ない、目を覚ましてからにしよう、とナダレもカウチに潜り込む。

コンコン、と硬質なノックの音を響かせる。出迎えのないことを承知しているオルティは、遠慮なくドアを開けた。
するとどうしたことか。普段はゴミ屋敷寸前の様相を呈しているナダレの診療所がすっきりと片付いているではないか。潔癖症のオルティには非常にありがたいことだが、それ以前に。まずは親友がついに狂ったか、部屋をゴミごと追い出されたか、のどちらかを心配しなければならなかった。

「ナダレ? いるのか?」

呼びかけると、ぱたぱたと足音がして、奥から人影が駆けてくる。オルティは思わず、懐の短銃に手を伸ばしかけて……そして止めた。それはどう見ても幼い少女だったからだ。……コスプレ臭いがナース服か? それは……。

「……えっと?」
「おじさん患者さん?」

きょとんとした顔でオルティを見上げていたその娘は、勝手に納得すると振り返ってナダレを呼んだ。

「ナダレさんカネづるきた!」

人を指してカネづるはよせ、とオルティが苦言を呈するより前に。安っぽいナース服の少女はオルティを見上げて、にたりと笑んだ。その唇からは牙が溢れ、瞳は燐光に輝いている。……竜種だ。

「良かったね。その銃に手をかけてたら、ボクはおじさんを食い殺すところだったよ。」

オルティはナダレに罹っている患者でもある。その日は情報屋としてではなく、純粋に患者としてやってきたのだった。
ナダレは疲れ切った顔でぐったりしていた。オルティは綺麗に片付いた診療所を、何事かという顔で見渡して、とりあえずナダレの前の事務椅子にかけた。そして、簡単な問診のやり取りを済ませる。

「この子は?」
「……患者……?」

オルティの、ノエルのほうを眺めながらの問いかけに、ナダレはぐったりどんよりした目で答えた。それ以外に答えようがなかった。察しのいいオルティなら、ナダレが竜種について依頼したこととノエルを結びつけてくれるはずだ。
ノエルは興味深そうにオルティの周りを彷徨いている。オルティは苦笑した。

「ねえおじさん病気? お腹切る? 見てていい?」
「お腹は切らない。見ててもいいけど、点滴するだけだからつまんないと思うよ」

オルティはいつもそうするようにジャケットを脱いで、左腕を捲った。ナダレはそこにてきぱきと治療薬の点滴を付けていく。オルティは少なくとも月に一度は、そうして薬を入れていた。そうしなければ、この羽化症(うかしょう)という病には立ち向かえなかったからだ。投薬の翌日は動けないほどの苦痛と倦怠感に襲われる。オルティはマフィアのボスとして、そんな姿を部下たちに見せられなかった。そのためこうして内密に、休日の前にナダレのもとを訪ねてくる。

「ほんと、薬だけ? つまんない……」

そう言いかけたノエルがぴくりと固まった。かと思うと、オルティの匂いを嗅ぎ始める。

「……香水臭いけど…知ってる匂いがする……?」

ノエルは訝しむように匂いを嗅ぎ続ける。オルティは完全に愛想笑いになってしまった。目が遠い。オルティは他人に距離を詰められることを好んでいないが、ノエルはそんなことを知る由もない。

「……おじさんの病気って、体に羽が生えるやつ? そうだよね?」
「……そうだ」

オルティは商会の同朋にすら、自身の病気を告白していない。彼はノエルの言葉に完全に面食らったようだった。ノエルはぺろりと舌を出した。

「ふぅん……なんだ。ナダレさんて本当に何も知らない人だったのか。」
「君は、ナダレが何を知ってると思ったんだ?」

オルティはつとめて、低く冷静な声を出していた。竜種は竜種の倫理観でしか動かない。ナダレが情報源として無用だと気づいたなら、ノエルがここでオルティごと殺して去ってもなんら不思議ではない。オルティはそれを警戒したのだ。
しかしノエルは即座にはそうしなかった。そこに話し合いの余地があるのだと、冷徹な情報屋は判断していた。

「それは言えない。お父様に叱られるから」
「お父様?」

竜種に親子の情があるなどと、彼らは聞いた事がなかった。竜種は卵から孵る。卵を産み落とした竜種が、我が子の面倒を見る事は(まれ)であった。ましてや父親となる者が。

「お父様はお父様だよ。何? 人類種って父親とかいない感じ?」
「……」

ナダレはぎゅっと眉根を寄せた。
彼にとって父親と呼べるものは3人いた。が、そのどれもが苦い思い出だったのだ。

「つまりその……お父様というのは、君の実の父ということか?」
「そうだけど?」

ノエルは少し苛ついた様子で、何を当たり前のことを尋ねているのか、という顔をしている。そして、面倒そうに、(まと)っていた衣装を脱ぎ捨てた。オルティはぎょっとした。少女然としたノエルが急に目の前で裸になろうとすれば、目を背けないほうが不思議だ。オルティが完全に視線を逸さなかったのは、それが幼いとはいえ竜であったことと、いつ自分の首筋を切り裂きにくるか分からなかったからだ。
しかしノエルは脱いだ代わりに自分の制服を(つま)み上げたところで、それの腹が大きく裂かれていたことを思い出したらしい。がっくりと項垂(うなだ)れる。

「そうだった……ああもう、面倒なことになった…」

ノエルはつかつかとナダレに歩み寄ると、ぐっとその襟元を掴んだ。

「当分(かくま)って」
「……はい?」
「だから、治ったら出てくつもりだったけど! ここで匿ってって言ってるの! ボクのドーナツ毎日買ってきてお風呂に入れてきれいなベッドで寝かせて枕元で音読して毎朝ミルクを飲ませてって言ってるんだよ!!ナダレさんボクの家畜でしょ!!」

明らかに家畜の稼働範囲を超えている。
しかし口ごたえなどした日には今度こそ耳がなくなるか、約束通り腹に穴が開くだろう。ノエルはやると決めたらそうするヤツだ。だというのにわざわざ許可を取っている。最大限の譲歩というやつだ。ナダレは壊れた玩具の人形のようにカクカクと首を振った。
それをぽかんとして眺めながら。オルティは完全にドーナツの口になっていたのであった。

Nadare Noelle Ortie

(続く)