「——あのなあ! 俺は真面目に話してるんだ!!」
ナダレはふわふわのフレンチトーストを口に放り込みながらそう喚いた。ナダレの向かいに座った男どもときたら、話を聞くなりこれだ。
「お前、またシャブキメてんのか? ほどほどにしろよ?」
「君ね……さすがにいきなり家畜はないよ。」
昼間っから、人をなんだと思っているのか。
方や、この国のトヲラス人コミュニティの一翼を担うマフィア、クローバー貿易商会の会長オルティ・クラヴィアド。白金色の髪が薄暗い照明にふわりと眩しい。褐色の肌に淡い髪色、それを黒のスリーピースに包んで、紳士然として足を組んでいる。革靴は先端に加工ではない本物の焼色が入っていて、いかにも高価そうだ。店に入って外したフェドラ・ハットとサングラスもどこぞのブランド品だろう。
方や、この国の警察・国防組織である国軍警察の大佐ダレン・ヴァン・レリーチェ。彼は非番の今日、制服を脱いでいた。赤毛に似合う落ち着いた色味のポロシャツは、ブランドのロゴが入っている。そこにシンプルなスラックスと、凝ったウイングチップの組み合わせ。出来る男の身なりであった。
そして、よれたシャツと薄汚れた白衣のナダレを合わせて。彼ら3人は、かつての学友である。今もこうして杯を酌み交わす仲だが、とはいえ昼日中であるので、今日は3人ともノンアルコールである。
ナダレは抗議の声を上げる。
「今日はまだキメてねえよ!」
「まだ、って。威張ることじゃないよ。」
ダレンはばっさりと、ナダレを切り捨てた。
薄暗い店内は彼ら3人だけだ。静かなロックミュージックがジュークボックスから流れている。
この店は商会の傘下にある。こうした密談にはもってこいだ。店主はドリンクを出した後、気を遣ってか店の奥に引っ込んでいた。
グラスを傾けて、それからダレンは、不精髭のひとつもない、白く細い顎を撫でた。年齢の割に、ダレンはいつまでも少年のような面立ちをしている。それでいて国軍きっての知将である。
「ホワイト嬢とは僕も親しいけれど。手首のことは今、君から聞いたばかりだ。」
ホワイトの家、スプラウス家は、この国の由緒ある軍閥貴族である。家長に将軍相当の地位を与えられ、将軍家と呼ばれる家のひとつだ。そのため、ダレンとは仕事上での付き合いがあった。
「ナダレ。今回のことばかりじゃない。君は一度、まともな治療を受けるべきだ。オルティから聞いた時、僕は国家権力で君を守ろうかと思ったぐらいだよ。」
ダレンは、眦の下がった目でぎゅっとナダレを睨む。ナダレが怯みそうになったところへ、アイスコーヒーに甘ったるいシロップをぶち込んだカフェオレを飲みながら、オルティが話を遮る。
「ま、薬の件は一旦保留だ。竜種のことは、俺とダレンで少し調べた。……竜種ってのは、知っての通り、この国ではトヲラス人並みに危うい立場だ。」
このアルスという国は、かつてトヲラスと戦争をした。
竜種は、トヲラスとの戦争の終末期において、兵器として前線に投入されていた。その戦果は凄まじいものであった。人を超えたほとんど無尽蔵の体力。銃器さえ必要としない単純な破壊力。心核を壊されなければ止まらない生命力。それはまさに怪物であった。……ナダレは当時、軍医として。ダレンは兵士として。その凄まじさを目の当たりにしている。そして、トヲラス人であるオルティは、竜種の恐ろしさを、自らの血族の痛みとして抱えていた。
「投入された竜種のほとんどは、戦争犯罪者とされた。そればかりか、竜種という種族そのものが、『危険種族』とされ排斥されたんだ。この国で竜種は、まともになんか生きられない。」
オルティは、深くため息を吐く。美しい湖水のような色の瞳が、憐れむように揺れた。
「仕事も生活も、表の社会にはない。彼らは切り落とされた尾だ。今ものたうち回っている。……竜種はトカゲの赤ん坊とは、よく言ったものだな。」
「それは一般的な竜種の話だ、俺が知りたいのはそうじゃない」
フォークを噛むナダレに、オルティはフン、と鼻で返事をした。
「分かってる、これはただの前提の話だ。」
カフェオレを飲み干して、オルティはグラスを置いた。氷が冴々した音を立てて、グラスの中で転がった。オルティはにやりと唇の端を吊り上げる。
「つまり、まともな竜種ならダレンが知らないはずないのさ。そうでないものは、俺の領分だ。」
思わずナダレは、フォークを取り落とした。
「何か分かったのか!? この短期間で!?」
ナダレがオルティに相談したのはほんの3日前、ノエルと出会った日のことだ。彼のご主人様となった幼い竜種のことを、ナダレはどうしても知りたかった。そこで、この国のアンダーグラウンドきっての情報筋である、親友に頼んだのだった。
オルティはぴっと指を立てて、ナダレにウインクして見せた。
「情報屋舐めんなよ、ナダレくんよぉ……!」
それからオルティは、一冊のスクラップブックをナダレに手渡した。それでその日はお開きになった。
別れる前、ダレンはナダレにそっと耳打ちする。
「近頃物騒だからね……君は教会なんか、縁がないだろうが……。気をつけてくれ。」
そういえば、教会を狙った爆破テロが横行してるとかいう事件が、あった気がした。
◆
「お家で見てネ♡」とマーカーで書かれたテープで、スクラップブックは封印されていた。調べの速さといい、マフィアの会長職というのは案外暇なのかもしれない。言いつけ通り家に戻ってから開けると、その中はしっかりと記事が整理されて、ぴしりと列になって並んでいた。……やっぱりアイツ暇なのかもしれない。
貼り付けられた記事の多くは新聞やオカルト誌からのコピーのようだ。そのひとつひとつにオルティの丁寧な筆記で、出典と雑感を示すコメントが添えられている。オルティのこうした細やかさが、ナダレは嫌いではなかった。
その中の一葉に目が留まる。粗い写真で、どうやって入手したのか、監視カメラの切り抜きのようだった。その翻る制服のような衣装に、見覚えがあった。
——数日前の、あの日、あの後。
「ナダレさんて、医者でしょ? とりあえず聞きたいことがあるんだけど。羽が生えた患者とか、見たことない?」
羽! そうだ、ホワイトが持ち込んだ羽の生えた手首!!
ナダレは爪を噛む。あれを知っていると言っていいものか、判断に迷っていた。秘密にする必要はないと言われたものの、話すことでホワイトの不利益になることが怖かった。それだけは破れない。ナダレはもう二度と、ホワイトを裏切りたくはなかった。自分が酒や薬に溺れていることを棚に上げて、いまだに『いい先生』でいようとしていた。
ノエルはすっと目を細めて、ナダレを見やる。気配すら見逃さないとでも言うかのように。
「やっぱり。知ってるんだ?」
「いや……羽化症とは違う症状を見たことがあるってぐらいで……」
ごにょごにょと話すナダレに、ノエルはぐっと顔を近づけた。
「家畜の自覚が足りないらしいね。」
ノエルの鋭い牙が、がぱりと剥かれたかと思うと。ナダレは焼けるような痛みを、耳に感じていた。
ナダレの耳は、ふわふわの毛に覆われている。鹿狼族、と呼ばれる血筋であるナダレは、その耳がまるで獣のようにふさふさとしていた。鹿狼族はこのように、体の一部に獣のような変異を生じることがある。羽化症も元は、そうした翼状の変異を産む遺伝子が狂ったものだった。
耳を押さえて蹲るナダレの前で、ノエルはぺっぺ、と毛を吐き出していた。
「うえぇ、毛っぽいっ!!」
ナダレの耳朶には、鋭い牙で穴が開けられていた。大した大きさの傷ではない、ただ穴が空いただけ。それでも、不意を打って付けられた傷は、痛みと恐怖を増長させる。
「いいか。次に会うときには、その下品な穴に似合うピアスをつけてあげる。家畜ってそういうの付けてるだろ。」
震えたまま見上げるナダレに、ノエルは、べっ、と赤い舌を見せた。
「お前は毎日鏡でそれを見て、ご主人様に嘘ついたことを思い出して反省しろ。……次はお腹に穴開けるからな。」
なんともゾッとしない話だ。
流石にナダレの悲鳴を聞きつけたか、路地のあちこちの窓から人が顔を出していた。何事だ、喧嘩かなと口々に、少しだけ興奮したように囁きあう。それは13区では日常的な風景だが、ノエルは苛立ったように、フードを目深に被った。
「人間の目は不躾で気持ち悪い。……それじゃ、ナダレさんまたね。」
そしてノエルは姿を消した。
「約束だよ、またすぐに会いに行くからね。」
そんな物騒なセリフを残して。
……あれから3日あまりが過ぎている。ナダレは耳に触れた。とっくに瘡蓋ができて、穴は塞がりかけている。ノエルが現れる気配はない。
スクラップブックの最後には、手書きのメモが挟まっていた。
——”見終わったら破棄しろ。ヤバい事には首を突っ込むな”
ヤバい事、なのか。優秀な情報屋の目から見て。ナダレの知らないどこかで、何かが蠢いている。分かったことは、竜種の殺し屋集団がいるらしい、という噂だけだ。本来は一匹狼気質の竜種を、誰かが束ねて組織化している。……ノエルはその一員なのだろうか?
……不意に。
こつこつと、ドアを叩く音がした。
あんなメモを見たせいか、その音はやけに恐ろしげに聞こえた。ドアを開けた先に、とんでもない怪物がいたら。そんなことを考えながら、薄くドアを開けると。
転がり込むように、何かが飛び込んできた。
それは全身が血濡れて真っ赤になった、ノエルの姿だった。
「——は?」
ノエルはナダレにしがみつくように倒れていた。その間にもじわじわと、フローリングに血が染みた。慌てて抱き起こすと、ノエルは咽せるようにいくらかの鮮血を吐いた。
「良かった……見つかって」
ノエルは弱々しく、そう呟く。おろおろするナダレに微笑みかけながら。
「大丈夫だよ、ほとんど返り血だし、疲れてるだけだから……」
そう言いながらも、出血が止まらない。竜種は血の魔法という力を持っている。自身の血を自在に操る力だ。それが働いていないのだ。緊急事態であるとナダレはすぐに理解した。
「大丈夫なわけないだろ!すぐに処置する、動かすぞ——」
ノエルを抱き上げようとしたとき、ノエルの唇はかすかに「やくそく」と動いた。
「約束したから……すぐ会いに行く、って……。」
ノエルはぐったりとそう呟いた。
ナダレは、咄嗟にその意味が理解できなかった。処置を急ごうとして、かっと熱くなっていた心に冷えた刃を差し込まれる。小さな体をこれほどボロボロにして。目的が、ただ自分に会いに来る、だけ?
「……なん……何言ってんのか、わかんねえ……。」
竜種は種として義理堅く、自ら立てた誓いを破ることはない。否、破ることができない。その時のナダレには、そんな事を知りようがない。ナダレは、竜と契ることの意味をまだ知らない。
いったい、自分は何と契約を交わしてしまったのか。
戦慄く腕の中でノエルが鬱陶しそうに、ナダレを押した。
「いいから早く処置してよ!」
「あ、意外と元気だ……。」
(続く)