「爆破された教会の近くにいた? 何で??」
体を洗って戻ってきたナダレに、ノエルはあからさまに嫌な顔をした。そりゃそうだ。ナダレはノエルに「友達に会いにいく」としか伝えなかった。
「その……探してるんだろ、羽が生えた死体……だから、力になりたいと思って……」
それは嘘ではない。
ただ、ナダレが力になりたいのは『ホワイトの』である。もちろんノエルの為にもなる。隠れているノエルの代わりに、手足になろうというのだから。ナダレはそのことを自分でもわからないうちに曖昧にしていた。
「何でそんな危険なことを……いや、話してないボクが悪いのか……」
ノエルはカウチに沈んだ。そこはもうとっくに、ノエルの私有地と化していた。
「仕方ない、ボクが迎え撃つからナダレさんは隠れてなよ。その無駄にデカくて重いお尻もしっかり隠すんだよ」
「誰のケツが何て!?」
「良いから。死にたくないなら言うこと聞いて。バスルームにでも——」
ノエルが言い切らないうちに。窓が勢いよくガラスを吹いた。そして、何者かが転がり込んできた。
その闖入者は、ノエルと同じぐらい小柄な少女に見えた。似たような仕立ての制服らしい服を着て、スカートからガラスの破片を払っている。流れ落ちる金の髪はきらきらと美しく、肌は石膏像のように白い。金の瞳がノエルをじっと見る。ノエルも彼女を睨み返す。
「グリム。お前か」
「……ノエル。生きてたの?」
すると彼女は握っていたナイフをベルトに納めて、ノエルに近づくと、……ぎゅっと抱き付いた。
「……アリエル姉さんは心核を刺したって、そう言ってた……」
「それは嘘じゃないよ。かなりギリギリだった。しかし、お前を送り込んでくるとはね。お父様もいよいよ余裕がなくなってきたな。お前がキャロルと組まされてるの?」
「……その前に」
グリム、と呼ばれた少女は、いきおい、ナダレへ飛びかかる。その手のナイフがナダレを引き裂かなかったのは、ノエルが手で止めたからだ。ノエルの金の瞳は燐光を発し、冷徹な怒りが見てとれた。
「偉いねグリム。お父様の命令には忠実なようだけど。でもそのボケっとしたお医者様はボクの所有物だ。」
ノエルはグリムを張り倒した。ナダレが口を挟む暇もなく。頬を張られたグリムはしょんぼりと眉を垂らし、俯いた。
「他人のモノに手を付けるな。はしたない子め。」
「いたい……」
「ナダレさん、これ、ボクの妹。グリム、これ、ボクの家畜のナダレさん」
「その紹介何とかなりませんかご主人様……。」
助けてもらった礼もしないうちに、ノエルは即座に手のひらの傷を回復する。心核がまともに機能していれば、多少の傷は竜種にとって、傷のうちにも入らない。それをまざまざと知らされる。
ノエルはグリムをカウチに座らせた。腕を組んでその前に立つ。ナダレはそれをバスルームへ続く廊下の影から見守った。
「それで、キャロルと組まされてるの?」
「そう。ノエルのかわり」
「あの唐変木は?」
「キャロル兄さんは、もうひとりの目撃者を探しに行った……二人連れだったって、分かったから」
グリムがしおしおになりながら発した言葉に、ナダレは身を強張らせた。ヘーゼル。本当にドブの底のヘドロを選りすぐって煮詰めたみたいなやつだが、自分のせいで死なれるのは嬉しくない。
「でも……匂いがちっとも辿れなくて、ダメみたい……あれはきっと隠密のたつじん……ニンジャ……!」
ヘーゼルの性癖がヘーゼルを救った。
まさかあの怠惰を極めた暮らしが役に立つ日が来ようとは。ナダレは深く息を吐いた。後で電話のひとつも入れてやろう。当分死体で体を洗ったほうがいい、と。
「とにかく。このお医者はボクの家畜でボクのものだからお前が触るんじゃない。そのもうひとりっていうのもボクの手下みたいなもの。始末しなくていいの。」
「でも、お父様に叱られる……」
「言いつけ通りやりましたって言っとけばいい! どうせお父様はグリムには甘いんだから!!」
まったく、とノエルは歯噛みした。そして、ナダレを振り返る。
「……この子、ちょっとおつむが弱いんだよ。本当に手のかかる妹だな!」
そう言いながらも、ノエルはどこか嬉しそうにしていた。
そして、人の買ってきたドーナツをむしゃ食いながら。ノエルはグリムと作戦会議をするかと思いきや、2人してテレビゲームに励んだ。なんでじゃ。それもナダレの私物だ。頼むからドーナツの油を塗りつけてくれるな。塗るのは地面とシャケだけにしてくれ。そして深夜も深夜になったころ、グリムはほくほく顔で帰っていった。バイトうまくいってよかったね……。
グリムが去った部屋で、ナダレは残ったドーナツを腹に仕舞い込んでいた。
「俺のこと庇ったりして、いいのか?」
改めて尋ねてみると、ノエルは面倒そうな顔をした。わざわざ説明がいるのかこの家畜は、というテロップ付きに見える。
「いいの。ボクの家畜ってことはボクのものってことなんだから。他人に手出しも口出しもされたくない。お前はもうボクのものだし、お前の命もボクのものなの。ボクに命乞いしたの忘れたの? お前もグリム並みにお間抜けだなあ」
やれやれと肩をすくめながら。
「オルティ……えっと、この前点滴に来てたあいつ。あいつは……」
「ああ……あのムスクとサンダルウッドと煙草のヒトね。あの人は別に何も知らないでしょ。知ってたとしても、あの人は自分で自分の身ぐらい守れる。竜の匂いがしてたからね。側にいるんでしょ、多分」
そうなのか。ちっとも知らなかった。
オルティが犬でも猫でも人間でも抱え込みたがる奴だというのは承知していたが、まさか、竜種もとは。
「グリムにしっかり言いつけたから、ナダレさんのお友達もひとまずは大丈夫でしょ。まったく、本当にみんなして手が焼けるんだから!」
本当に申し訳ございませんと頭を下げて、そろそろ尋ねても良いだろうかと、ナダレは唇を開く。
「……俺がノエルちゃんさまを匿う、っていうのは、その、心核を刺したっていうお姉さんから?」
「アリエルはお父様の言うことには絶対に背かない。だから面倒くさい。ここに来たのがグリムでよかったね。アリエルだったら話も聞かずに殺されてたよ」
ノエルは事もなげに語る。思ったより危機一髪だったのか、なんて感傷には浸らせてもらえない。
「キャロルは分別があるから、まだ話を聞いてくれたかもね。リップとレスターの双子は最悪。まず、あいつらボクのことナメてるから。弟のくせに。自分たちが一番お父様を愛してるって。狂信者だよ、アレ」
ナダレは既に去ったグリムの方へ深く礼をした。本当にありがとうございました。まさか怪獣大戦争がここで勃発するところだったなんて。
「ボクはまぁその……ボクが羽の生えた死体のネタを追ってるってのは知ってるでしょ。あれがちっとも成果にならないから、お父様に折檻部屋に入れられてたんだけど。」
とんでもないことをサラッと言うな。前時代的にも程がある。それに、竜種を折檻できる奴なんか居るのか? より力のある竜なら、それも可能なのだろうか?
「ナダレさんと会う約束してたから脱走したらさあ! あのバカ姉! 次あったらボクが心核ぶちぬいてやるから!!」
きょうだい喧嘩のスケールがおかしい。先ほどまで仲睦まじいグリムとの姿を見せられていただけに。ナダレは頭がくらくらした。
「ともかく折檻もバカ姉もバカ弟×2ももう懲り懲りなの! ボクは仕事してなかったわけじゃないのに! 見つかんないものを見つかりませんって報告して何で怒られるわけ!」
この期に及んでナダレは、未だホワイトの情報をノエルと共有することを躊躇っていた。ナダレが明確に狙われていると分かった以上、これは彼がスプラウス家に返せる最後の恩義かもしれないのだ。
しかし、目の前の幼い竜種にいつまでも嘘をついていられるほど、できた大人でもなかった。
「……その、そっちが知らなそうな情報が、あるにはある」
ノエルは目の色を変えた。
「……何で今まで黙ってた?」
「俺にも事情がある! ……だから、出所は話せない! それでも良ければ俺の知ってることを話す……!」
ナダレが言い終わるより先に、ノエルは動いていた。床に叩きつけられ、一瞬息が止まる。ノエルはナダレの上に馬乗りになり、ナダレの髪を掴んで顔を上げさせる。
「次はお腹に穴開けるって言ったよね。聞こえてなかった? その柔らかいふわふわの耳は飾りか?」
「……何言われても、これだけは話せない!」
ナダレも意地になった。
「あのねえナダレさん。ボクを可哀想な家出っ子か何かと思ってる? 同情で情報くれてやろうって? 馬鹿にするなよ人類種ごときが!」
ぱっと手を放される。
「もういい。お前の命はボクのものだ。思う存分甚振って全部吐かせてやる。よかったねここが病院で。道具には事欠かないよな」
そう言うノエルの手には、脊髄に使うような太い注射針が握られていた。
体の震えが止められない。全て洗いざらい言わなければ死ぬより酷い目に遭うのは目に見えている。そして、そうなった時に何かを言い出さないでいることが自分にできるとは、ナダレには思えなかった。そんな強さがあれば、ドラッグにも酒にも逃げずに、まともな暮らしを続けられていたと、自分で分かっているからだ。
それなら今言ってしまった方がよほど良い。ホワイトは軍閥名家のお嬢様だ。剣の道もそれは厳しく躾けられていたはずだ。ナダレが守る必要など本来ない人だ。
それでも。
それでも、自分からホワイトを裏切る事は、どうしてもできなかった。
痛みに屈するならそれでも良い。結果殺されたとしても別に構わない。
死にたくないだけならとっくにドラッグも酒も辞められている。ノエルに命乞いをしたのだってそうだ。ナダレに許されるのは、ゆっくりと、柔らかく死に続けることだけだ。緩慢な自殺だけが、ナダレに許された贖罪なのだから。
だからナダレは、何も言わなかった。両の目にたっぷりと涙を溜めて、怯え切って肩で呼吸しながら。それでも何も言わずに、ただノエルを見上げた。ノエルはそれにたじろいだように、鋭く舌打ちをした。
「……何なの、お前。死にたくないって割には、覚悟の決まった顔して。気持ち悪い。」
ノエルはナダレの顎を掴むと、口を開けさせて舌を思い切り引っ張った。そこへ、手にしていた注射針を突き刺す。驚いたナダレが舌を引っ込めようとしても、針が当たって入っていかない。ただ唇の端から血と涎が混じり落ちた。
「話したくないなら何も言うな。言えるようになったら聞いてあげる。それまで針、取るなよ。」
(続く)

