聖誕祭の前日。
見事に仕立てられたネイビーのスリーピースが、商会に届けられた。時折テーラーに通っては、仮縫いの状態も確認していたものの、完成品は明らかに別物だった。艶やかな高級ウール地もさながら、隠しプリーツ、滑りの良い裏地など、身体の動きを制限しない工夫がこれでもかと盛り込まれている。どうりで顔を合わせる度に、老職人は目がギラギラしていたわけだ。よほど骨を折ってくれたに違いない。
エヴァグリーンはファッションショーを強要され、オルティはそれを眺めて満足そうに笑う。
「これで、準備は整ったな」
「準備?」
「……イーデンは明日の聖誕祭に、近くの港に寄港する。船上パーティが開かれる。金持ちを集めた、例の悪趣味なやつだ」
エヴァグリーンの瞳が、すっと鋭さを帯びた。
「ドレスコードがあるらしくてな。それで、仕立てを頼んだ。似合ってるじゃないか、なかなか」
「……おい待て、どうやって潜り込む気なんだ」
金持ちのパーティなんか、警備も厳重だろうに。訝しがるエヴァグリーンに、オルティは不敵な笑みを見せる。
「正面から、招待客として行くんだ。」
オルティはエヴァグリーンのネクタイを丁寧に締めて、そこに小さなネクタイピンをあしらった。イエローゴールドのクリップに一粒、無色透明の石があしらわれていた。
「スーツは必要経費みたいなものだからな。聖誕祭の贈り物はこっち。俺からのほんの気持ちだ。」
小さな石粒が、きらりと室内灯を反射する。その輝きが目に眩しい。オルティらしい洒落た小物のチョイスだが、自分ばかり贈り物を貰うのが、エヴァグリーンは少しだけ不満だった。
「明日……どうせあいつらには内緒なんだろ」
あいつら、とエヴァグリーンが言うのは。商会の面々だ。今は応接室の向こうで、オルティからの聖誕祭のプレゼントに沸いている。エヴァグリーンは声を潜めた。
「……何でそこまで、お前はひとりで全部やろうとするんだ」
「プライベートだからさ。イーデンは、商会とは関係ない。あくまで俺とお前の個人的な契約だ。だから、あいつらには頼れないだろ。」
エヴァグリーンは眉根を寄せた。
彼らはそんな風に思っていない。オルティのことを、仕事だけの相手だとは思っていない。それがもう分かっているからだ。きっと、助けてくれと一言、声をかけるだけで。彼らはオルティのために命を張ると知っている。
だから、話せない。頼れない。彼らの事を想うからこそ。彼らの自由を願うからこそ、オルティは。
「本当に、大事なんだな。あいつらのこと」
「ああ。俺の宝物だ。……お前もそのひとつなんだよ。」
そう言って照れ臭そうに、オルティは煙草を咥えた。
◆
聖誕祭、当日の夕暮れ時。早い日の入りである。
オルティはいつものスリーピースに、ほんの少しだけめかし込んだ、カフスや小物をあしらっている。アイボリーのナポレオンコートに、同じアイボリーのフェドラ。それにいつものサングラスの出立ちで、港へ降り立つ。
エヴァグリーンは仕立てられたばかりのネイビーのスーツでいた。イエローゴールドのネクタイピンが、その胸元で輝いていた。
そして。
「さあ、行こうか仔猫ちゃん!」
——エルドラド・ドゥ・ナスタヤーシャ・ヴィア・アマデウス3世は、ド派手な金色のジャケット姿でそこに立つ。
「まさか仔猫ちゃんからお誘いがあるとは思わなくてさあ、奮発しちゃったよ。なんなら仔猫ちゃんの分の服も仕立ててあげたのに。でもその服もシンプルで似合うね♡」
「ありがとうございます、3世」
「今日ぐらいエルディって呼んでよ、もう」
エヴァグリーンは、よくオルティが引き攣りもせずに笑えている物だと感心していた。嫋やかな笑みを崩さずにいる。
エルドラドも遠慮なくオルティの腰を抱こうとする。オルティはその都度うまく躱していた。並んでいると確かに、彼らは系統の違う美男子同士で、似合いに見えなくもないのだが。
滞りなく受付を済ませて、3人は呆気なく船に乗り込んだ。船上には既に、眩しいほどに着飾った金持ちが並んでいる。それぞれに酒を酌み交わして、談笑に高じていた。上品なアレンジを加えられたクリスマスソングは、バンドの生演奏だ。
「それにしてもさあ、そんな趣味だっけ、仔猫ちゃんて。けっこうグロい出品とかあるよ? 例えばほら、和彫っていうの? 東の方の国の彫物。あれが全身入ってる人皮とか。」
エルドラドは事もなげに、大声でそんな話をする。けれど、その場に集った誰も気に留めない。そういう趣味の集まりだからだ。むしろ、彼らはエルディを見るとにこやかに微笑んでいる。顔が利く業界人への態度だ。エヴァグリーンは彼らを、腹の中でエルドラドと同じカテゴリに入れた。つまり、嫌な奴カテゴリだ。
オルティは笑みを崩さず、あくまで客と商人としてエルドラドに接する。
「オークションについては、別のクライアントから頼まれたんですよ。それで、あなたなら顔が利くかと……ご不満ですか?」
「まあね! 利用されてるだけってのは、俄然燃えるよ。」
……オルティは、この男のことを嫌っている。だからこそ、この男の扱いはよく分かっている。靡いてはいけない。阿るのもいけない。
3世は、自分に冷たい相手が好きなのだ。
カネを積めば誰でも振り向かせられるエルドラドにとっては、自分に目が眩む人間よりも、軽くあしらう相手の方がたまらない。オルティには理解できないことだが。オルティがエルドラドを嫌えば嫌うほど、エルドラドがオルティを欲しがるのは、そういうわけでもあるのだ。
「オークションは港を出て20時ごろだそうだよ。どう? それまでふたりで熱い夜を過ごすっていうのは……」
「はは、ご冗談を。オークションまでに全部済ませられるわけないでしょう、そんなの」
「あちゃー、それもそうか!」
エルドラドにとっては、極上の餌。オルティは自分を釣り餌に、恐ろしい鮫を釣り上げようとしている。ちらと目が合った時に、オルティはエヴァグリーンに目配せをした。早く行け、と目で訴える。
船に乗り込む前に、ふたりは作戦を決めていた。
エルドラドは非常に傍若無人な金持ちである。大抵の相手は金で黙らせることができるエルドラドに、そうそう喧嘩を売る者はない。彼の「所有物」に手を出そう、などというのは痴れ者だ。護衛がいようがいまいが、オルティがエルドラドの同伴者として振る舞っていれば。まず近づく者はない。
「それでも襲われたら、どうするんだ」
「その時は、3世を盾にする。」
珍しく心配するエヴァグリーンに、オルティは笑って、物騒な答えを口にした。
イーデンは大戦期に徴用された、豪華客船の成れの果てだ。そこまでは、オルティが調べをつけていた。かつての船の設計図が手に入ったのだ。おそらく船は艤装を繰り返し、複雑に層が折り重なっているだろう。最も上の層は、オークションなどのパーティが行われる階層。そして、中間層にはおそらく、客たちに提供する品物を溜め込んでいるはずだ。さらに下にはコントロール層があり、そのもっと下が機構の層である。
設計図を広げながら、オルティは色々と説明したが、エヴァグリーンの結論は簡単だった。
「なんだ、じゃあ、とりあえず下に降りてきゃいいんじゃねーの?」
「それはそうなんだが……少し探して欲しいものがある。例のIDカード、覚えてるだろ。」
オルティの妹が、彼女を傷つけた者から奪い取ったIDカード。そこにはひとりの男の写真と、識別を示す簡単なプロフィールが載っている。
その男の名は、ラドンと言った。不気味に薄ら笑む顔写真は掠れてしまっていた。しかし、エヴァグリーンは確かにその男を知っている。彼をこの船から海へと放り出したのは、その男に相違なかったのだ。
「こいつが今も船に乗ってるとは限らない。IDを失くすような奴だ、更迭や処分を食らってないとも限らん。だから、確証を得たい。乗船者名簿でもなんでも良い。」
エヴァグリーンは、強く頷いた。
艦内の構造は、ほとんどオルティの予想した通りだった。オークション会場となる華やかなエリアを一歩飛び出せば、鉄板が剥き出しの内部だ。それは無骨な冷たさで侵入者を拒もうとしていた。
エヴァグリーンは、まずとにかく下を目指した。乗船者名簿に限らず、乗組員についての何らかの情報が得られるとすれば、それはコントロール層だ。要所要所は見張りが立ち塞いでいたが、エヴァグリーンは声ひとつ上げさせずに、彼らを昏倒させた。武装しているが、動きは素人だ。銃口を向けてはくるが、相手は撃つのを一瞬躊躇う。当然だろう。狭い船内でむやみに撃てば、どこに当たるか分かったものではない。その一瞬があればエヴァグリーンには十分だ。
武装の質に比べ、この手応えの無さ。街中で襲ってきた連中によく似ている。はっきり言って相手にならない。ただ手際よく相手を伸しては、銃口をぐんにゃり曲げておく。使い物にならなくしておけば、後で拾われて使われることもないだろう。そういう映画を見た。刑事が拾った武器でどんどん強くなっていくのだ。あれも聖誕祭の日の話だったな、なんて思いながら。
迷路のような船内を軽やかに駆ける、エヴァグリーンの足がふと止まった。相も変わらず無骨で飾り気のない、ハッチのような扉。そこに、『保管庫』と記されている。そっと扉を押し開けようとすれば、がちりと鍵の鳴る音がした。扉の脇に古めかしい、磁気テープ式のカードリーダーが取り付けられている。エヴァグリーンは信じられないという顔でそれを見る。
船に乗り込む少し前。オルティは真っ白な、何も刻印されていない磁気カードを取り出すと、エヴァグリーンに手渡した。
「なんだ、これ?」
「ラドンのIDから吸い出した磁気情報を、そのカードに入れてある。もし、磁気カードのリーダーがあったら試してみてくれ」
エヴァグリーンは難しい顔をした。磁気カードのリーダー、というものを見たことがなかったのである。正直にそう言うと、オルティはぺちんと額を叩いた。ジェネレーションギャップ。
とにかく目の前の小さな箱は、オルティが説明した通りの骨董的な代物だ。本当に20年、稼働し続けていたのだ。
オルティ曰く。イーデンはその身を隠すために、必要がないときには洋上で佇み、寄港の頻度を減らしている。大掛かりな改修工事や艤装は時間がかかる。下手をすれば、外装は金持ち向けに飾り立てていても、内側は骨董品のようなシステムを使い回しているかもしれない。
「中身は20年前に吸い出した、本物の鍵だ。オープン・セサミになれば良いが、まあ、期待はするな。」
そっと白いカードを、リーダーに通す。
——ピッ
小さな電子音が鳴る。一拍置いて、ガチャリと錠が回る。それはオルティの執念が、本物の魔法になった瞬間だった。
そうしてエヴァグリーンは、見覚えのある空間に辿り着いた。アーティファクトの保管庫。かつての故郷である。まるで変わっていないと感じるのは錯覚ではなく、本当にシステムや管理体制が20年間もの間、一切更新されていないのだろう。
荷が、所狭しと棚に並んでいた。積荷としての番号をつけられ、これから値をつけられるもの。その奥で動き回る白衣の人間。積荷の検品や手入れをしている者だろう。つまりは雇われではなく、船側の人間だ。エヴァグリーンはそれを羽交締めにして、蟀谷に指を突きつける。
「おい、脳味噌ぶち撒けたくなきゃ言うこと聞け。——この船の乗員名簿を寄越せ。」
哀れな研究員は命乞いをしながら、手近なコンピュータを示した。お前がやるんだよ、と続けて脅し、ファイルを探させる。オルティからは20年分もあれば良い、と言われたが、そんな古いものはないと彼は泣きそうな声を出した。
「んなの見つかる範囲でいいっての! ぐちゃぐちゃ言ってねえで、さっさと……」
そう叫んだ刹那、竜の耳はかちりと小さな、しかし聞き慣れた引き金を引く音を聞いた。咄嗟に掴んでいた研究員をその方向へ向ける。散弾がはじける。白衣は一瞬で赤黒く削り取られ、無惨に崩れ落ちた。飛び散った鉛のかけらは、エヴァグリーンの腕にも食い込んだ。痛みはあるが、この程度大した事はない。即座に再生可能だ、と唇を噛んだエヴァグリーンは、しかしその場から動けなかった。
負傷した右腕が異常に重い。まるで鉄の塊でも纏い付いているかのように。
「ッ、なっ————!?」
それを知覚したのと同時に、引き絞られるような心核の痛みが襲う。再生できていない。血が流れない。それで理解した。これは、金属ほども重く凝縮している竜種の血を『固める』ものだ!
心核は激しく打った。負傷した部分に血を届けようと躍起になる。それなのに、血が巡らない。結果、心核に重い負担がかかり、この痛みを与えているのだった。
心核が押し潰される苦痛に、声もなく蹲ったエヴァグリーンを、その男は無機質な目で見下ろした。いまさら竜種のひとりふたり、殺したところで何とも思わないという視線。
……その目に覚えがあった。波間に攫われる前の、幼いエヴァグリーンは。その男を確かに見たのだ。
「まさか、生きているとは。そのうえ、戻ってくるとは。」
ラドンは多少、驚嘆したようにそう口にした。
「お前たちが我々を探っているのは分かっていた。乗り込んでくるというなら、好都合だと思っていたが。それが20年も前に廃棄したゴミとはな。」
記憶の中よりもいくらか歳を重ねた顔で、ラドンは邪魔くさそうに、研究員だったものを蹴り飛ばす。そして爪先で、エヴァグリーンを仰向けに転がした。
睨み付けるエヴァグリーンを淡々と見下ろして、ラドンはショットガンを突きつける。それは明確に、エヴァグリーンの心核に向けられていた。
「……俺もお前が、ッ……20年もこんなボロ船にしがみついてるとは、思わなかったぜ……!!」
やっと。
やっと手が届きそうだったのに。
エヴァグリーンは激しい苦痛の中で喘ぎ、息を詰まらせ、踠くこともできずにいる。それでも絞り出すように喉を動かし、ラドンを睨む。まだ足掻こうとする爪が鉄の床を叩く。火花が散る。薄紙のように鉄板を裂く。
このまま終わりたくない。終われない。必死に頭を巡らせる。何か。なにか。まだ、何かきっと。何も。畜生。畜生!
——俺が諦めたら、オルティはどうなるんだ。
「……っさ、最後だ、ひとつ……聞かせろッ……」
いよいよ、痛みの感覚すら薄れ始める。エヴァグリーンは、ラドンを見上げた。
「どうして俺を…ッ……捨てたんだ……!!」
ラドンは溜息を吐いた。くだらない、ひどくつまらない質問だと感じたからだ。ラドンはショットガンの先端を、エヴァグリーンの胸へぐっと押し当てた。オルティが贈ったネクタイピンが、銃の先端に押される。それはまだ、光を失っていない。だというのにこの会話は、せめてもの時間稼ぎにもなりやしない。
ラドンはエヴァグリーンを見下したまま、吐き捨てるように答えた。
「……ここは俺だけの楽園だからだ。」
指が、ゆっくりとトリガーへ向けられていく。
時間が過ぎるのをひどく遅く感じた。ぎゅっと目を瞑って、その時を待つ最中——
「エヴァグリーン!!」
凛とした、呼び声が聞こえた。
きっとお前は知らないだろう。
俺をそう呼んだのは、お前が初めてだった。
初めてだったんだ。
(続く)