夜景をバックに、煌々とライトアップされた建物が聳え立つ。宮殿かと思うほどの馬鹿でかい建物をはじめ、街のあちこちが鮮やかなネオンで飾られている。看板には白熱電球がいくつも並ぶ。ちかちかと明滅が切り替わり、まるで光が流れているようだ。光の洪水のような街だ、と思った。もう日が落ちているのに、ここだけはいつまでも明るい。
エヴァグリーンは自分がまるで場違いな場所に居ると感じていた。道ゆく者たちもみな一様に上品な装いで、かつて見たことのある繁華街とは違った風景に見える。車の窓に張り付くようにそれを眺めているエヴァグリーンを、隣に座るアルシァラは鼻で笑った。
「やめろよ、みっともない。金がないって丸わかりだ。」
アルシァラを睨みつける。事実だろ、とそっぽを向く彼とは、やはり仲良くなれそうになかった。そんな後部座席の様子をミラー越しに眺めて、オルティは楽しそうに笑っていた。
眠らない街。11区。
クローバー貿易商会が拠点にしている、アルス7区と隣接している行政区だが、雰囲気はまるで違う。7区は都会ではあるが、このような派手さはない。どちらかといえば無機質で、働く人間の街という印象だ。しかし、11区は完全に娯楽の街という顔をしている。派手で、愉快で、いつまでも眩しい。その中心にあるのがこの巨大なカジノホテル、『キングスパレス』だ。
行き交う人波を避けながら、車は大きく張り出した庇の下へと入っていく。そこでは際どい格好をした女たちが手を振っていた。
……なんだろう、あの、ウサギの耳の被り物は。メリーラムが身につけている手袋のような、エナメルの艶々したボディスーツを纏っている。
その女たちを押しのけて、ひとり、ボーイが車へ近づいてきた。オルティは車から降りて、彼に笑顔を見せた。
「元気そうだな。安心した。」
「はい、おかげさまで。なんとかやっています。」
そう言いながら車の鍵を受け取るボーイは、褐色の肌に淡い髪色をしている。トヲラス人だろうか。
アルシァラに続いて車を降りたエヴァグリーンは、普段のパーカーとは違う服装をむずがっていた。
昔のような厳しい規定はない。とはいえ、カジュアルでラフな服装はマナーとして避けるべきだとオルティは言った。この間のエルドラドとの会食には、そのままの服装で連れて行ったくせに、である。
落ち着いた色味のジャケットとスラックス。動きづらくて仕方がない。革靴も硬くて歩きにくい。果たしてこれで、護衛の用が務まるのだろうか。エヴァグリーンはため息を吐く。
エントランスの回転扉には、真鍮の細工が纏い付き、派手さよりも繊細な高級さを感じさせている。古い作りだが古ぼけてはいない。
建物の中も、外の賑やかさとは違う落ち着いた雰囲気をしている。毛足の長い絨毯に深く靴が沈み込む。……これでは敵の足音も聞き取れないだろう。それ以前に、メダルゲームのマシンがけたたましい音を発している。どのみち、耳に頼るのはよしたほうが良さそうだ。
辺りをきょろきょろと見渡していると、オルティに呼ばれた。お前の為に調べてるんだぞ、こっちは。
胸元に小さな花のコサージュをピンで留められる。
「何だこれ」
「おまじない」
「……はぁ?」
「あんまり気にするな。無いよりマシ程度の物だ。」
何を言っているのかさっぱりわからない。難しい顔をしているエヴァグリーンに、オルティは声を落として囁く。
「この街では、他人をあらゆる意味で『買う』のが合法なんだ。全員が買い手であり売り手だ。その花は、もう売約済みって意味になる」
「俺はお前の所有物ってワケかよ」
「嫌味に取るなよな。3世みたいな、どうしようもない趣味のヤツだっているんだ。身を守る手立ては多い方がいい。」
それはあくまでも『おまじない』なのだ。
この街で合法なのは、合意の上でのやり取りの全てである。合意形成していれば何をしても良い。命のやり取りさえも。
そんな法を敷く街で、悪事を働こうというなら。強引に合意を形成してしまえばいい。そうすれば、法のお咎めがないのだから。そんな歪んだ発想を持つ相手には、どう防御したとて徒労に終わる。オルティはそれを、嫌になるほど良く、知っていた。
「だから、外したければそうしろ。でも、絶対に安売りするなよ。ここは本当に、怖い街なんだ。」
クロークでコートやサングラスを預けて、オルティは堂々とした足取りでカジノを進んでいく。ホールの壁面には彩り豊かな魚たちが踊っていた。中央には浮島のようなバーカウンターがあり、給仕が蜜蜂のように忙しなく飛び交っている。各テーブルではトランプやルーレットや、種々のゲームが行われ、チップの山が積まれては崩れる。
エヴァグリーンはそれをしげしげと眺め、はたと気づいた。従業員の中に、トヲラス人の特徴を持つ者が多い。ドリンクや軽食を給仕したりしているようだが……たまに、ドリンクではなくチップの山を持って現れる。
「置いていくぞ」
アルシァラが苛立ったように急かす。
エヴァグリーンはチップを積んだトレーを運ぶ給仕を指差す。
「あれは?」
「お前本当に何にも知らないんだな! カジノで現金賭けることなんかしないんだよ。ああやってチップにしておけば、自分がいくら突っ込んでるかわかんなくなるだろ」
何と、あのチップの1枚1枚が、凄まじい金額であるという。
「……それって」
「バカだって言うのか? でも、あれが俺たちの稼ぎになってるんだぜ」
カジノを訪れた目的は商談だ。
オルティはアルシァラを連絡員として、このカジノの主人・シュワルツに引き合わせたいのだ。シュワルツはこの街の主人でもあり、このカジノの運営母体『パンドラ・ボックス』の首領でもある。オルティたちクローバー貿易商会と、パンドラ・ボックスは同盟関係にある。
この街は、人間の欲望を効率よくカネに変える装置なのだ。そして、その掛け金が足りない者には、クローバー貿易商会が金貸しを囁く。もちろん暴利で。
彼らはうまくやっていた。そして、パンドラ・ボックスはトヲラス人の雇用も生み出している。まさに切ってもきれない仲であった。
問題があるとすれば……このシュワルツという男のことだ。
この街は、すべての欲望を肯定する。
ギャンブル? いいとも。
暴飲暴食? 最高だ。
色に狂ってカネをスるのもいい。もっとディープで、人に言えないようなことだって。カネで合意がなったなら、何でもしていい。それが唯一無二のこの街のルール。
それを牛耳るのがシュワルツ・フォン・ロードクロサイトという男。ロードクロサイト家はこの国の古参の財閥家である。それが街ひとつを娯楽のためだけに運営しているのだ。その上に立つ王がただの男なはずもなく。
彼はシャンパンを片手に、自らの城を練り歩いている。両腕に美女を携えながら。そして、オルティを見つけると、驚いたように、楽しげに笑った。
「四ツ葉の魔法使い! VIPラウンジから入ってくれば良かったのに! まったく意外な事をするな、君は!」
そして美女軍団を退がらせて、シュワルツはオルティに手を差し伸べる。その胸に柔らかく抱かれても、オルティは嫌がる素振りを見せない。エルドラドの時とはえらい違いだ。
「キング。ご壮健で何よりです」
「ははあ、分かったぞ。その子たちは君の連れだな。それで私の招待状を使わなかったね。真面目な男だ。」
シュワルツは目を細めて、アルシァラとエヴァグリーンを見やる。アルシァラは慌てて居住まいを正した。あのアルシァラが。
エヴァグリーンはといえば、闖入者であるシュワルツを観察していた。エルドラドと同じ、金の髪、青い瞳。なのにそこから漂う気品も色香も、奴の比ではない。若々しく見えるが、歳は50を越えるか越えないかというところだろう。しかし、顔に刻まれた皺でさえも美しく、彼に深みを増して見える。
「彼らは私の部下です。アルシァラとエヴァグリーン。とても良く働いてくれています。」
「ああ……とても若々しく瑞々しい。これから熟れていくのが楽しみだね。」
「はい」
オルティは嬉しそうに笑った。
アルシァラが進み出て礼をする。先程までぴしっと固まっていたとは思えない、恭しく優雅な礼だった。シュワルツもにっこりと笑顔を見せる。
「知的そうな良い子だね。さぞ高い値がつくだろう。美しい羽だ。手入れを怠っていないのがよくわかる……。いい話し合いができそうだが、少し若すぎる。舐められないようにする、というのは大切なことだけど、君はもう少し人の胸を借りても良いな。」
ぎくりとしたように、アルシァラが愛想笑いを浮かべる。
そして、シュワルツはエヴァグリーンに向き直る。
「この竜の子は護衛か? なかなか精悍な良い目をしている。体力があるからって、竜種を好む客もいるよ。どうかな、君が望むならそういう店を斡旋してもいい。……竜はペニスが2本あるというのは本当かね?」
最後のは小声だった。エヴァグリーンは首を横に振ることしかできなかった。
「少し早く着いてしまいましたか?」
「いいや、大丈夫だよ。……しかし、護衛の子は中には連れて行けない。君のところの子がオイタをするとは思わないが、決まりだからね。」
中で、と言いながらシュワルツが指したのは、警備が厳重に固めているドアだ。商談用のエリアだろうか。いくらオルティがVIP客だからといっても、特別扱いはできないのだろう。
オルティはエヴァグリーンに歩み寄ると、小さなカードを手渡す。
「好きに使って良いぞ。少し遊んでこい」
「遊んで、って……何すりゃ良いんだよ」
「何でもさ。それがこの街だからな。」
オルティはひらひらと手を振って、シュワルツと連れ立って歩いていく。アルシァラもその後に続く。エヴァグリーンはぽつんと取り残された。
途端に、胸につけたコサージュが重く感じた。
仕方なくバーカウンターに寄って、席に着く。高価そうな飲み物の名前は、どれもエヴァグリーンには縁遠く、どんなものなのか想像がつかない。
「何でもいい。飲める物。」
注文を聞いたバーテンダーは目を丸くした。それからエヴァグリーンが突き出したカードを見て、もう一度目を丸くした。
それでエヴァグリーンもようやくカードをよくよく見た。黒くマットな質感のそれは、金のエンボスで会員番号か何かの番号が刻印されている。その横には加えて『VIP』と描かれていた。……あの野郎、何てモン置いて行きやがる。
テーブル面はタッチパネルの画面が嵌め込まれていて、そこでも簡単なゲームが楽しめるようだった。隣の客がドリンクを片手に一喜一憂している。
本当に、徹底して娯楽のために作られている空間だ。人を、カネを逃さないように。
エヴァグリーンはバーカウンターから、オルティたちが消えていった扉の方を眺めた。その門扉を、竜種ががっちりと立ち塞いでいる。護衛として生きている竜種もいる。自分と同じように。それを初めて実感した。
バーテンダーが差し出したドリンクは、何かのカクテルらしい。何かの木の実のようなものが沈んでいる。ひどく辛口で、竜種はほとんどアルコールに感応しないとはいえ、喉が焦げそうになる。……この木の実は食べるものなのか? わからん。
考えあぐねているエヴァグリーンの思考を断ち割り、突然、軽快な音楽が響き始めた。観客たちも顔を上げる。彼らの視線は、ホールの入り口の方へ向いていた。
「——迷えるギャンブラーの皆様、大変長らくお待たせいたしました! 今夜のキングス・レビューを開演致します!」
アナウンスが響く。派手な羽飾りを付けて、煌びやかなスパンコールの衣装を纏った女たちがぞろぞろとやってきた。彼女たちはテーブルの間を縫うように進みながら、客に手を振り、キスを飛ばしている。客も彼女たちに歓声をあげて、口笛を鳴らしつつ着いていく。人波が奥へと移動していく。
それと同時に。反対側のテーブルでは男たちが口論を始めていた。金のやり取りで揉めているらしい。
……エヴァグリーンは、何かきな臭いものを感じた。視界を広く取る。人の動きを見つめる。
男たちの口論は加熱し、ついに片方が手を上げようとした。悲鳴が上がる。ディーラーがすっ飛んでいく。奥の扉を固めている竜種の護衛も、さすがにそちらを注視している。
そして、流れる人波に沿わずに、そのドアの方へと移動していく男がいた。エヴァグリーンは咄嗟に、手にしていたグラスを振りかぶる。それは男を掠めて扉で砕け散った。男は素早く反転した。その手にはサイレンサーの付いた短銃が握られている。発砲。エヴァグリーンの頬を裂き、弾は天井に突っ込む。ようやく、護衛の竜種が不審者に気づく。
「てめえ! どこに目ェ付けてやがる!!」
エヴァグリーンは椅子を蹴り飛ばし、その男まで一気に飛びかかった。体ごと突っ込まれた男と共に、トランプゲームを薙ぎ倒す。ホールは一挙に騒然とした。カードとチップが散らばる。
エヴァグリーンはその男の腕を蹴り付けた。鈍く骨が砕ける感触がして、男の手から銃が滑り落ちた。
エヴァグリーンは護衛の竜種に目配せして、その場を任せる。そして、扉を蹴り開けて奥へと走った。奥にも扉が並んでいた。仕方なく、声を張り上げ叫ぶ。
「——おい! どこだ! 無事だろうな!?」
「ここだ。何があった?」
小さく扉を開けて、オルティは声だけを聞かせた。エヴァグリーンはそこに駆け寄る。
「分からねえ。だが、銃を持ってるヤツがいて……こっちに向かってた」
「始末したのか?」
「いや、俺は……」
ホールの方でひときわ大きな悲鳴が上がった。舌打ちをして振り返る。とにかく安全を確保するまで籠っていてもらうか。そう判断したエヴァグリーンの前で、オルティは扉を押し開けた。
「おま、バカ、出てくんなよ!!」
「ヒットマンが怖くてヤクザが務まるかよ。それに、お前が護ってくれるんだろ?」
オルティは微笑んで、エヴァグリーンの頬に手を伸ばす。そこは弾丸に切り裂かれていたが、もう治ってしまっていた。今はただ滲んだ血糊だけが、エヴァグリーンが懸命であったことを示している。
「それに、ウチの護衛も優秀だよ。——スペイド、説明しなさい。」
シュワルツがそう呼びかける。いつの間にやら、背後に例の護衛が突っ立っていた。彼は気怠そうに、掴んだ男の死体をぶら下げている。
「すみません、キング。毒を飲まれました。」
◆
オルティは、シュワルツが用意したスイートのソファに深く沈んでいた。エヴァグリーンとスペイドの証言から、おそらく口論をしていた男たちもグルだろうと考えられた。
だが、現場が騒然としている隙に、彼らは逃げ出したらしい。結局、捕まることはなかった。人相にもこれといった特徴がなく、この後探し出せるかも分からない。
エヴァグリーンは、オルティの部屋に付くことになった。アルシァラには、スペイドが付いている。彼が優秀というのは本当らしいが、エヴァグリーンはいまひとつ信用しきれず、自らオルティの側にいることを望んだ。
「……誰を狙ったかは、分からず終いか。」
「俺は、お前が狙われてると思った」
そう溢すオルティに、エヴァグリーンは率直な意見を述べる。単なる直感だ。
「そうさな……お前も俺の殺しを依頼されてたワケだ。その首謀者もまだ分かっていない。可能性が高いのは、俺だろう。」
オルティは、ため息を吐く。
「キングに迷惑をかけたな……。」
「別に、お前が悪いんじゃねーだろ。」
「キングにもそう言われたよ。だが、俺の見込みの甘さには違いない。……本当に頭が上がらない。」
珍しく落ち込んでいる。エルドラドに言い寄られた時だって、苛ついてはいたが落ち込んではいなかったのに。……それを『珍しいな』と思えるほど、エヴァグリーンはオルティを見てきたのか、と。今更ながら、どきりとした。
エヴァグリーンは、ソファの前にしゃがみ込んだ。
「大事になる前に止めたんだぞ。労いの言葉ぐらいねーのかよ、お前は。」
「……グラスぶん投げたって聞いたぞ」
オルティはまだ、むすっとした顔をしていた。
「たまたま手元にあれしか無かったんだ」
「なら仕方ないか、とはならねえんだよなぁ」
あーーー、と呻いて。オルティはすっと立ち上がった。そしてジャケットを脱ぎ、ネクタイを外す。エヴァグリーンがそれをじっと見ているので、オルティはぺろりと舌を出した。
「シャワー浴びるんだよ。こっち見るなよ、スケベ」
なんだよ、元気じゃねえか。
エヴァグリーンは背を向けた後で、少しだけ安堵したように笑った。
(続く)