ロータスと事務所に戻ると、オルティのデスクに齧り付くようにして、アルシァラがキレていた。
彼は『外商』と呼ばれる社員だ。トヲラス人の中では偉い血統だかなんだか知らないが、エヴァグリーンは彼を嫌っていた。ケツの穴が小さいとは、こいつのためにある言葉だといつも思う。
「元はあんたの客でしょう。だからあんたが巻き取るべきだ」
そう言って、アルシァラは睨むようにオルティを見下ろす。オルティは何度か反論したが、しまいには諦めたように「分かった」と言って、アルシァラを下がらせた。
「羽なしの癖に。色違いってのは、そんなに偉いのかよ。」
アルシァラは立ち去り際にそう吐き捨てた。
エヴァグリーンにも聞こえたのだから、オルティにも聞こえただろう。オルティは涼しい顔で、それを聞き流している。そして徐に立ち上がると、エヴァグリーンの方へやってきた。
「行くぞ、仕事だ。」
オルティに連れられてやってきたのは、商会ビルからほど近い地下駐車場だ。そこも商会の持ち物らしい。
その奥に停められている車を見て、エヴァグリーンは思わず、げえ、と声を漏らした。トリノ・バード。あの日それに乗っていた……正しくは乗っていたのは偽のオルティだったのだが、とにかくオルティを殺し損ねた因縁のクラシック・カーだ。
「直したのか、これ」
あの時盛大に横滑りして、ガードレールに突っ込んでいた気がする。それに、ルーフのガラスはエヴァグリーンが叩き割ったのだ。鉄の天井に差し変わっているようだが、ボンネットも激しくひしゃげていたはずだ。
オルティは自慢げに、得意げに笑んでいる。
「あいつの部品で残ってるのはエンジンとシャシーぐらいだな。他は別の車から剥がして持ってきた。誰かさんがボコボコに壊してくれたんでな」
「……俺だって、仕事だったんだ」
「分かってるさ。だから請求したりしてないだろ? それにほら」
オルティは懐から取り出したリモコンキーのボタンを押す。ロックの外れる音がした。
「ついでだから電子ロックに変えた。窓もパワーウインドにしたんだぜ?」
「したんだぜ、じゃねーよ知らねえよ」
オルティはエヴァグリーンを助手席に乗せると、車をゆっくりと発進させた。外観は完全にクラシックだが、内装は古臭くない。オルティのガラムの匂いがする。
「……さっきの。どういう意味だ」
しばらく走ったところで、ぽつりと尋ねた。
「さっきのって?」
「惚けるなよ。『羽なし』とか『色違い』とか、あいつが言ってただろ——」
オルティが急ブレーキをかけたので、エヴァグリーンはつんのめった。赤信号だった。文句を言うエヴァグリーンに、オルティはただ、「シートベルト」とだけ言う。
それから煙草を手に取って、火を点ける。シガーソケットは旧車のままらしい。
やがて信号は青に変わり、再びゆるやかに車は走り出す。オルティも、ゆるやかに語り始めた。
「……言葉通りの意味だ。俺は羽がない。それだけだ。トヲラス人には階級制度がある。背中に羽のある『天狗』がいちばん偉い」
そういえば。
アルシァラの背中には立派な六枚の羽がある。火のように赤い翼。エヴァグリーンはなるほどと思う。奴の器の小ささの理由に思い至った。
「俺にはそれがないのに、あいつより上の立場にいるから。だからあいつは気に入らないんだよ。」
煙草がゆるりと燃え尽きた後。オルティはサングラスを外し、エヴァグリーンのほうをちらと見た。
星の散ったような瞳。下弦を蜜に浸したように、碧から金蜜色へと切り替わる、冴え冴えと美しい瞳の色。
「『色違い』っていうのは、これだ。」
すぐにサングラスの下になり、その瞳は見えなくなる。確かに美しい瞳かもしれないが、それだけだ。何がアルシァラの気に触るのかわからなかった。それを聞き返さないうちに、車はゆっくりと、街の大きなレストランの裏手に辿り着いていた。
レストランのボーイが車に寄ってきて、ぎょっとする。とてもこの場にそぐわないラフな格好の、それも竜種が降りてきたからだろう。
作法のわからないエヴァグリーンがボーイを睨みつけていると、オルティは彼に車のキーを預けながら何言か会話した。すると彼は大慌てでインカムに呼びかけ、直ぐに店内から何人もの男たちが駆け出して来る。
そして彼らに見守られつつ、オルティは上着やハットを預けつつ。——サングラスも外して。店内へと導かれる。
エヴァグリーンもその後に続いた。ボーイはまだ恨めしそうな顔をしていた。
案内に従って個室へと入ると、そこには物々しい様子の、黒服の男たちがいる。エヴァグリーンは、彼らは同業者だと直感した。暴力で食ってる奴らだ。
そして、その真ん中に煌びやかな男がひとり座っている。金の髪、青い瞳。彫像のような均整の取れた顔立ち。艶やかな白い肌。絵に描いたような美男子である。身につけたものも上等なものばかりだ。ぶら下げた重たそうな金のネックレスや、両手の指にいくつも並ぶ金のリング。金持ち、と全力でアピールする風体。
彼はオルティを見つけると、ぱっと表情を明るくする。待ち侘びたと言わんばかりの顔で、ワインを傾けながら。
「やあ、愛しの仔猫ちゃん。待ってたよ!」
……こんなに嫌な顔をするオルティを、エヴァグリーンは初めて見た。よくもほんの少しだけ、笑みを強張らせた程度で済ませている。目がちっとも笑っていないどころか、今すぐにでも目の前の男にくってかかり、縊り殺しそうだ。少なくともエヴァグリーンにはそう見える。
エルドラド・ドゥ・ナスタヤーシャ・ヴィア・アマデウス3世。
それがその男の名前だった。3世、と恭しく呼ぶオルティに「エルディでいいよ」と笑いかける。オルティが不快そうにしていることは意に介さない様子である。
そのオルティも、エルドラドとは系統が異なるが美しい男である。華やかで煌びやかな男が並んで、妙に眩しい。しかし、エヴァグリーンはエルドラドの眩しさを、どこか下品なものに感じている。主張の激しい金のアクセサリーや、オルティへの秋波のせいかもしれない。
「代わりの人を寄越すなんて。そんなつれないことしないでよ。ただ食事に誘っただけじゃないか。」
アルシァラの不機嫌の理由はこれか。
エヴァグリーンにもようやく得心がいく。きっと彼はオルティを連れてくるようにと再三要求して、ついにはアルシァラが爆発したのだろう。それがあのデスクでのやり取りになったのだ。
「すぐワインを持って来させよう。ほら、座って!」
「ワインは結構です。車ですから。」
「そんなの車ごと送らせるのに!」
エルドラドは、エヴァグリーンのことを完全に無視している。清々しいほどに。彼の護衛らしい黒服どもといい、人を使うことに慣れているのだろう。彼にとって、奴隷が側に控えているのは当たり前で、特別なことではない。風景と同じだから、視界に入っていても目には留まらない。
渋々、テーブルについたオルティは、全身から嫌なオーラが漂っている気がする。美麗で逞しいハウンドの面影はどこへやら、それこそ仔猫が毛を逆立てているときのようだ。
エヴァグリーンはオルティに促されるまま一歩引くと、壁際に立ち、壁に背を預けた。
そしてエルドラドは店の者を呼び、食事を出させ、オルティには何度もワインを勧めた。その都度オルティは「車ですから」と言う羽目になった。
食事は会話を交え、和やかに進む。
オルティはその殆どを口にしていないが、エルドラドは気にしていない。いつものことらしい。
話題はどれもくだらない世間話だが、お世辞にも盛り上がっているとは言い難い。エルドラドが何かを言うと、オルティは「はい」「そうですか」「すごいですね」「結構です」……これのルーチンである。しかし彼はそれで満足らしかった。
「そういえばさ、有名な女優が引退するって……あれ誰だっけ?」
「存じ上げません」
「まあいいや、俺も興味ない」
「そうですか」
「軍警は近々、大規模なドラッグの摘発するっていうし。」
「よくご存知ですね」
「あれ、仔猫ちゃんとこはドラッグ捌いてないんだっけ?」
「はい」
「そっか、忘れてたよ」
ずっとこの調子だ。
察するに、政財界に顔が利くスポンサー、といったところか。無碍にできないのも頷ける。
食後のワインを傾けて、エルドラドはようやく、数軒の銘柄の株価について尋ねた。オルティがまともに答えた質問はそれぐらいだった。
「うん、ありがとう。参考になるよ」
「そうですか」
最後まで、オルティが頑なな態度を崩すことはなかった。だというのに、エルドラドは少しも萎えた素振りを見せない。それどころか、オルティがそうした反応を示す度に彼は前のめりになる。オルティを見つめる瞳にも熱が入る。
エルドラドは、青い目をすっと細める。まるで芸術品を眺め、愛でるようにオルティを見る。
「……仔猫ちゃん、やっぱり考え直さない? うちにおいでよ。それだけでいいんだけど。」
「何度も申し上げておりますが、お断りします」
「そうだよね。でも気が変わるかもしれないし。」
オルティは目を伏せる。変わるわけがないだろうとでも言いたげに。
エルドラドはそこに手を伸ばすと、オルティに上を向かせる。照明に照らされて、『色違い』の瞳がきらきらと揺れた。
「やっぱり、綺麗だね。素敵だよ。」
「止めてください」
強い拒絶だった。
これまでの会話でのらりくらりと、エルドラドの秋波を躱していたオルティが。今初めて、震えるほどの嫌悪感をその唇に乗せている。エルドラドは怯まなかった。その嫌悪さえも飴玉のように、舌先で転がす。
「俺は君が欲しいだけだ。金なら幾らでもある。幾らで買える?」
「売り物ではありません。放してください。」
「知ってる。……でも諦めないよ。君がうんと言ってくれるまで。」
そして、エルドラドはそっと、艶やかな唇をオルティの耳元へ寄せた。
「俺のペットになってくれるまで、ね。」
オルティは弾かれたように顔を背けた。振り上げようとした拳が途中で止まり、わなわなと震えていた。壁際に並んでいた黒服が飛び掛かろうとしたので、エヴァグリーンは彼らを睨みつけた。
——先に俺の主人を侮辱したのは、そっちだろうが。
店を出て車に乗り込んだ後も、オルティはしばらく無言でいた。エヴァグリーンも何も聞かなかった。それぐらい、あの時オルティが見せたら拒絶は鋭く、冷たかった。
信号で止まってようやく、オルティは重い溜息を盛大に吐く。やっと息ができたとでも言うように。
「……頼むから経済紙でも買ってくれよ……」
いつも涼しい顔をしていたオルティが、まるでラッシュアワーに揉まれたサラリーマンのような顔になっている。エヴァグリーンは何か慰めの言葉でもかけてやろうかと唇を開いたが。それより先に。
「っっんとに死ねよあの変態!!!!!!!」
オルティが叫んだ。
信号が青になり、車がぐんと加速する。
「エヴァグリーン!付き合え!」
「お、おう。何だ、急に」
「メシを食う!!!」
……お前さっきまで何してたんだ。
オルティに連れてこられたのは、モーテルに併設の小さなバーガーショップだった。
店の終わりかけの時間らしく、人はまばらだ。オルティはチョコレートサンデーを注文した。器からはみ出て、落ちるほどに盛り付けられた砂糖の塊。それが運ばれてくると、オルティは貪るような勢いでかき込む。よほど腹に据えかねているようだ。
普段の冷静な仕事人とのギャップに、エヴァグリーンは思わず、掴んでいたバーガーを取り落としそうになった。
「……彼とはパーティで会ったんだ。まともな集まりじゃない。悪趣味なやつだ。」
ようやく気分が落ち着いたのか、オルティはそう語り始める。わざわざ注釈をつけるからには、いわゆる上流階級的な集まりではないのだろう。
「ゴールドラッシュか何かの成金の3代目だそうだ。寝転んでいるだけで金が入ってくるような連中だ。株式投資なんか、飯事にもならん。」
パーティで、エルドラドはオルティを見初めた。
オルティはその日のことを忘れないだろう。忘れようとしても忘れられないだろう。よく知らない金持ちがすたすたと近づいてきたと思ったら、急に小切手を切って目の前に突きつけてくる。
「君。俺のペットにならないか?」
その場でぶん殴らなかったことを、今でも後悔している。あまりに突然の申し出に、咄嗟に言い返すこともできなかった。ようやく事情を飲み込めた頭が、固まった身体に指示を出し始める。そしてオルティは、やっとの思いで「お断りします」と口にした。
「……『色違い』ってのは、珍しい確率でしか生まれてこないらしい。三毛猫のオスみたいなものだ。それで、……なんだか価値があるんだと。」
数万匹に1匹だけ生まれる三毛猫のオス。ひどく珍しいとされるその猫は、幸運を呼び込む象徴とされた。血統がついていれば相当な高額で取引されることもあり、時にニュースを賑わせたりもする。
オルティは、それをくだらないと言い切った。諦念がありありと見てとれた。
「昔からさ。『色違い』だとすり寄られて、トヲラス人だからと嫌われる。俺の努力も得意不得意も関係ない。大多数にとっては、俺に貼られたラベルの方がよほど価値を持つ」
アルシァラがその目の色を蔑むように。
エルドラドがその目の色を欲しがるように。
彼らはオルティという個人ではなく、オルティの目の色でその価値を測っていた。トヲラス人だから、というところもそうだ。エヴァグリーンには、それはひどく馴染みのある価値観だった。竜種だからと蔑まれ、使い捨てられる。
……だからだ。だから、オルティはエヴァグリーンの手を取った。その理不尽に抗って欲しいと望んだ。そういう意味で、彼らは同朋だったから。
「たかが目の色ひとつ、人種ひとつで。そんな事でさ……他人の人生を左右できるんだ。そういう視線を誰もが当たり前に持っている。はっきり言って異常だろ。」
深いデザートグラスに長柄のスプーンを放り込んで、オルティはまだ足りないとばかりに煙草に手を伸ばす。今朝は新品だったその箱の中身は、もうこれ一本でカンバンだった。
「お前……さ。なんつーか……お人好しなんだな。マジで。」
自分だって理不尽に振り回されているくせに。行き場のないトヲラス人を次々と迎え入れている。しまいには竜種まで抱え込んだ。ただ自分が抗っていたいから。人間を値踏みする世間に、中指を立てていたいから。
エヴァグリーンの言葉を聞き届けて、オルティはやっと、微かに笑みを取り戻した。
「お前を拾ったことを言ってるなら、俺はそんな大した奴じゃない。ただ都合の良いところにお前がいたからだ。」
「充分だろ。……じゃあ俺が勝手に有り難がってるって、そう思っとけよ。」
オルティは意外そうに目を丸くする。エヴァグリーンは、そっぽを向いてバーガーに齧り付く。美味かった。充分だった。その味だけで。オルティのその表情だけでも。
——初めて、この男が案外、手近な所にいるのかも知れないと思い始めた。それだけで、良かった。
(続く)